横手山スカイレーターのヒミツ

2019.07.26

横手山「スカイレーター」をご存じない方にはどのような「乗り物」だと説明するとわかりやすいでしょうか? まずはこんな説明を考えてみました。

標高約2060m地点と約2110m地点を結ぶ絶景の「傾斜のついた完全屋外型動く歩道」あるいは「階段状ではない完全屋外型エスカレーター」です。うーんちょっと固い。イラストのような、北アルプスまで望める絶景をゆったりと楽しむ天空のエスカレーターなんですよね^^

2307m横手山スカイレーターからの絶景 イラスト/あべゆみこ 
え・あべゆみこ

まずは、動く歩道やエスカレーターの歴史から紐解きましょう。なかなか面白いですよ^^

調べていくと日本初の「動く歩道」は「1959年に東京で開かれた国際見本市会場にあった」との記述を日本エレベータ協会さんの会報誌で発見しました。かつて東京・晴海にあった「晴海見本市会場」のことです。1959年の第6回東京モーターショー(当時は全日本自動車ショウ)にあわせて開場した晴海見本市会場は、1996年に閉場。つまり動く歩道は現存していません。跡地には2020年東京オリンピックの選手村として50階建て超高層棟などおよそ5650戸のマンションが建設中です。

晴海見本市会場 中央区思い出写真館より 1996年撮影
晴海見本市会場(中央区思い出写真館より)1996年

次に見つけたのが大阪・阪急梅田駅と阪急百貨店をつなぐ「ムービングウォーク(まんま歩く歩道ですね)」。1967年の導入で、こちらも「日本で初めて」という表現を見かけますが、阪急電鉄さんは「実用化第1号」という言い方をされているようです。

ところで、「こんにちは〜こんにちは〜♬」と三波春夫さんが歌った1970年の大阪万博。大阪千里の会場内での主な移動手段が「動く歩道」でした。当時のマップを見る限り12本の「動く歩道」を発見することができました。主流はゴムベルト方式でしたが、パレット方式の「歩く歩道」も月の石を展示したアメリカ館や三菱未来館などに導入されていました。その経験からか翌71年には前述の梅田駅「ムービングウォーク」は三菱電機製のパレット式に変更されました(現在はさらに最新型にリプレイスされています)。

屋外型エスカレーターに限ると、1969年にできた赤坂東急ビルに設置された地上から2階に上がる日立製800C-PAというエスカレーターが日本初のようです。東急プラザ赤坂さんと、日立ビルシステムさんに電話して伺ったのですが(対応ありがとうございました)すでにリニューアルしているので、残念ながら当時のエスカレーターではないとのことでした。

1969年当時の赤坂東急ビル(東急プラザ赤坂)にあった屋外エスカレーター
当時の赤坂東急ビルの屋外エスカレーター(日立評論1973年12月号より)
現在の東急プラザ赤坂の屋外エスカレーター

1959年、1967年、1969年という数字が出てきましたね。

では、横手山の「スカイレーター」を見てみましょう。

1967年の竣工です。なんと梅田駅の「ムービングウォーク」と同じ年に作られています。梅田駅は8月末。ところがスカイレーターは同年7月です。つまり今年52歳の誕生日を迎えた「スカイレーター」は、どうやら確実に「現存する日本最古の動く歩道」(屋内屋外問わず)と言えそうです!
(つづく)

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